テンカラオフシーズンの旅②

 #テンカラオフシーズンの旅・第二回

 

『釣りと風土』山本素石著 つり人社

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テンカラ:毛鉤を竿と糸で操作し魚の目をごまかして釣り上げる釣り。

テンカラを世に広めたといわれる山本素石氏にとって毛鉤の面白さ。"毛鉤は使い手の腕によって〜"に強く共感しました。それと同時に何年か前に丹沢の源流で出会った餌釣りのじいちゃんの言っていたことを思い出しました。「毛鉤なんかニセモノで釣ろうなんてぇのはイワナに失礼だろうとオラぁ思うんだ。やっぱり上等な餌をくれてやって獲るんがよかんべ。」

 

ー以下引用ー

毛バリは、魚が錯覚してくれることに賭けるのだから、盛季のヤマメが何よりも好む羽虫、特にカゲロウをモデルとした象徴的なものが一番好いと私は考えている。

ー中略ー

毛バリは曇天の朝夕の薄光の時がよいといわれるのは、魚の目を幻惑するのにちょうど都合の好い状況だからでもある。してみれば、凝りに凝ったイミテーションよりも、簡略に特徴を集約したファンシーの方が有効である。なぜかというと、写実的なものよりも、象徴的なものの方がイメージにうったえる力をもっているからである。たとえば女体を描くのに、全体を克明に写生するよりも、バストとヒップを強調して、他は簡略する手法がある。パッと見るだけなら、後者の方が女体を印象づけるのに効果的だ。じっくり鑑賞する段には前者にかなわないけれど、毛バリはヤマメにじっくり眺めさせるものではなく、一見したとき「虫!」 と思わせて、反射的にとびつかせるのが狙いなのだからー。

お色気というものは、むき出しにすると、かえって興ざめするもので、チラチラとのぞかせる方が相手を興奮させるということなのだそうである。毛バリもチラチラと程よく打ち返すことによってヤマメの食い気を誘うこと、この点、人間の色気と変わるところはない。だから、羽虫の特徴的な部分を、印象的に強調することが、ファンシーの概念といってもいいのではないか。 

ー中略ー

エサ釣りは当然の過程を経て当然の結果を得るわけなのに、毛バリは不逞な手段によって法外な結果を得ることがある。プレイとして格段の差があるわけだ。イミテーションからファンシーへ移行するにつれて、その法外さがきわ立つ。 

法外といえば、精巧なニセ札で買物をするよりも、玩具屋で売っている子供銀行のオモチャの札を使うほうがむつかしい。更には週刊誌の口絵の切れ端で物を買うほうがいっそう法外で手口としても最高である。 

それはもう詐欺ではなく、手品というべきだ。週刊誌の切れ端は贋造紙幣ではないからさらにむつかしい。 狸が木の葉を千円札に見せるほどの神通力はないにしても、毛バリがある程度虫らしい格好をしていれば、 使い方次第で何とかなるものである。紙切れにはむろん額面の表示はないから、場合によっては千円にも万 円にも通用する。生餌にばかり依存するエサ釣りは、額面にたよる取引きだが、毛バリは使い手の腕によっ て、ただの紙切れともなれば、法外な通貨ともなるわけである。テンカラにはそういうおもしろさがある。 

引用 

山本素石『綺談エッセイ集2』つり人社、2012年3月1日(p.101)より

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