テンカラオフシーズンの旅①2021-2022

テンカラオフシーズンの旅という企画でテンカラ釣りにまつわるオススメの本や気がついたことなどを気ままに書いてみようと思います。

 

『釣りと風土』山本素石著 つり人社

Amazon.co.jp詳細はこちら: https://www.amazon.co.jp/dp/4864470162/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_QTX2SJJ7A5Q2CTW758R7

 

先ず、テンカラとは何なのかというのは様々な意見があると思います。この釣りが好きな釣り人はみなそれぞれのテンカラ論をもっていると思いますし、自分も子供の頃からこの釣りをやってきて少なからず思い入れがあります。テンカラを世に広めたといわれる山本素石氏にとってテンカラとはどのような釣りなのか、こちらの本で以下のように書き残されています。

-以下引用-

テンカラの系譜

テンカラの概念

渓魚と呼ばれるアマゴやイワナの仲間たちは、元来、生餌しか食わない魚である。人口餌で飼育する養殖魚でも、だから動物性の蛋白を主原料にしている。

昔の渓流の釣りは、魚の食べものである虫(生餌)を主として、その中に鈎をしのばせてひっかけるという手法に終始していたはずである。それがいつの頃にか、毛鈎に変身した。その動機や年代は詳らかではないし、テンカラの語源や発祥地についても、確かなことは分かっていない。渓間にたちこめた深い霧の彼方を探るような推測や說をならべるしかないのだが、ここでその概念をとらえておきたいと思う。

テンカラといえば、毛鈎で渓魚を釣る技法を指すことは渓流師なら誰でも知るようになったが、つい二、 三十年前までは、ごく限られた地域の、ほんの一部の人の間に伝承される土着的な釣法であった。地方差の目立つ釣り方で、呼び名もまちまち、やり方もさまざま...。それについては後で触れるが、基本的な共通点 は、陽春から初夏の頃にかけて、水面を飛ぶ虫に似せた毛鉤を、竿と糸で操作するという手法である。

どうしてそういう釣り方を思いついたのかー。最初は、山仕事に通う釣り好きの男(絶対に男)であった。 はずだ。いつも通う渓沿いの仙道を歩きながら、たそがれ近い流れの上を飛び交う羽虫をねらって、しきり。 にジャンプする白い魚体を目にするうち、ふと思いついて、その羽虫を胸に刺して水面を流してみたところ、 果たして型の良いアマゴ (ヤマメでもよい)が勢いよくとびついて来た。フットバシ釣りの始まりである。

季節に合った餌釣りのコツは、そうした偶然のチャンスから工夫を生んだにちがいないと思うが、羽虫はやがて姿を消す。それに代わるものとして、ミミズやクモ、バッタなと、釣りの餌になるものはいろいろあるが、仕事に追われる機大家業では、いちいちそんなものを集めてまわる手間が惜しかっただろう。何か虫 に似た代用品をこしらえて、魚の目をごまかすことはできぬものだろうかと、折りふし素朴な思案をめぐらせていたにちがいない。

疑似餌(毛胸)の着想は、こうして早くから釣り好きな男たちの意中を去来していたはずである。「必要は発明の母」で、炉辺の夜語りに、誰かが思いつきで言いだしたことがヒントになり、ゼンマイの綿毛や小 鳥の羽などをむしって、あり合わせの鈎に巻きつけ、どうやらそれらしい似せ物、を考えだしたのがテンカラの始まりであったのだろうと私は想像する。

引用 

山本素石『釣りと風土 綺談エッセイ集2』つり人社、2012年3月1日(p.136)より