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#017山の翁



1章 テンカラ釣りとは

  1. テンカラ釣りとは
  2. 和式と洋式の毛鉤つり
  3. 毛鉤釣りのなかのテンカラ釣りという考え方
  4. 今日のテンカラ釣り

1.テンカラ釣りとは

テンカラ釣りとは毛鉤を使って魚を釣る日本古来の毛鉤釣りの一種である。

かつては日本各地の山間部で魚をとることを生業とする職漁師に好まれていた釣法であったことからもわかるように、少ない道具立てで魚体を傷つけずに素早く釣りあげるとても合理的な釣りである。それ故に毛鉤や釣糸の作り方や釣技に関しては門外不出とされ容易に他人に教えられるものではなかった。

その一方で里山に目を向けると大抵どこの家にも釣竿の一本くらいはあり、夕方になるとそれに毛鉤を結んで夕飯の魚を釣るといった生活感溢れるのどかな風景があった。

必然的に各地でそれぞれの土地に合ったテンカラ釣りが伝承し伝統として受け継がれた。テンカラ釣りが単に魚を釣るということだけでなく文化的な面を持つのはこういった人々の生活と密に関わりながら存在したからだとも言える。

ひとつ注意しておきたいのは職漁師=テンカラ釣りではないということで、その見識はテンカラ釣りを身近なものから遠ざける要因になったともいえる。

2.毛鉤釣りのなかのテンカラ釣りという考え方

日本古来の毛鉤釣りには様々な様式がありテンカラ釣りはこのなかの一つであると考えられる。

いくつかの毛鉤釣りを紹介する。テンカラ、フットバシ、オッタタキ、ハンケバリ、チョウチン、パチンコ、両手持ちの郡上釣りというのもある。これらは各地の川の規模や渓相に合わせて生み出された最善の毛鉤釣りである。使われる毛鉤にしても様々で順毛鉤、逆さ毛鉤、普通毛鉤、各地の地名を冠した伝承毛鉤など多種多様である。

3.和式と洋式の毛鉤釣り

今日の毛鉤釣りにおいて一般的に和式とはテンカラ釣りのことであり、洋式とはフライフィッシングのこと。

どちらの釣りも鉤に鳥の羽などを巻いた毛鉤を使用して釣りをすることから並べて語られることがある。

和式にはないリールを装備した竿を使うフライフィッシングが日本にやってくると、西洋への憧れからか洒落た高貴な釣りとして認知された。当時、日光のフライフィッシングクラブには大使館関係者や役人などが在籍し社交場としての役割を果たしていた。この頃から日本における毛鉤釣りとは一般的にフライフィッシングのことを指すように変化していったのではないだろうか。

残念ながら現在において毛鉤釣りと聞いたときにテンカラ釣りを連想する日本人は少数派である。

それぞれの価値をそれぞれ認めるという日本人的思想のもとフライもルアーも受け入れてきた。その証拠に漁法に厳しく規制を設ける漁協組合でも海の向こうからやってきた釣りを禁止することはなく、それらはすぐに日本中に広まった。

欧米コンプレックスも手伝いテンカラ釣りは肩身の狭い立場を歩んできたのも事実だ。

やがてフライフィッシング至上主義を掲げる思想が現れテンカラ釣りを粗野なものと評価したり禁止する管理釣り場まで出るなど釣り場から排除する動きまで起きた。

テンカラを禁止するのは経営方針なので仕方がない。しかしその理由が理解に苦しむところがある。

フライ、ルアーはシステムとキャスティングに美しい世界観が存在するからOK。しかしテンカラは延べ竿で糸を垂らす姿がエサ釣りの様で美しくないからNG。

こういう事を言っておきながら「初めて釣りをしたのは父と行った小川でのミミズをつけた雑魚釣りでした」なんていう落ちまでつくことがある。それこそが日本の原風景であり美しいことであるのに。

そもそも日本人としてエサ釣りの美しさと奥行きのある世界を認めないということも寂しい話である。まったく誇りの欠片もない話だと思う。

しかし我々テンカラ釣り師にも非があるといえばその通りで、後にも記するが最近のテンカラ釣りといえば洋風テンカラが主流になりつつあり、撚り糸を駆使した様々なキャスティング技術が忘れ去られてしまっているというのも問題を誘引した事実である。

こうした紆余曲折を経て最近はテンカラ釣りの流行を感知するや否や逆さ毛鉤を巻きテンカラ釣りを説くフライフィッシャーが出現するなど徐々にテンカラ復権の兆しもある。フライフィッシングの世界にはテンカラキャストなる釣法まであるそうだ。

「日本のテンカラ釣りで日本の魚を釣る」という自然なことを自由に気兼ねなく愉しめる環境が増えることを期待する。

4.今日のテンカラ釣り

美しい日本の伝統文化であるテンカラ釣りは近年ULスポーツフィッシングとして再注目されており、そのブームの勢いはアウトドア愛好家だけでなく都会のファッションシーンに登場するまでになっている。都会では、休日を山や森のなかで過ごすことが素敵な大人のライフスタイルとして提案されているのだ。釣りとは無関係のように思われた有名ブランドやセレクトショップ、それにまつわる様々なメディアまでテンカラ釣りを紹介している。

しかしこれらは、テンカラに精通する人間が紹介しているものばかりではないということに注意しなければならない。驚くべきことになかにはテンカラをまともにやったことがないというライターやアフィリエイターも存在する。

たしかにテンカラは時としていとも簡単に釣れる釣りである。そのことがこれまで多くの勘違いを生んできた。老舗釣具屋の名人に聞けば、ちょうど三年くらいの経験を積んだ頃の発信者に誤解している人が多いというのはどの釣りにも共通して言えることらしい。ここ数年の間に発刊された本、雑誌、ネット情報が教科書となり例外はあれど薄口な内容も多く、それを鵜呑みにし、またそこに書いてあること以外を否定する読者の多いことはなんとも悲しい。

有名なテンカラ師でさえ平成になりたての頃と今とではだいぶ薄口になったと感じる。久しぶりに買った氏の出演DVDを見てとても残念な思い。しかしそれは氏の本意でないというのは皆がわかっていること。

たしかに名人が長年の実践のなかで試行錯誤し養ってきた自分のテンカラをそう簡単に世間に公開するはずがないのもわかる。その答えに辿り着くまでにどれほどの時間と労力を要したことか。技術面に関していえば、たしかにいくつかの答えは提示されてある。しかしその答えを導き出した過程にこそ釣るための本質があるのだから、そこを公開しなくては有料ハウツーとは言い難い。答えだけでは読者はなにも学べない。

 

誤解を恐れずに書くが近頃フライフィッシングと混同したテンカラ釣りを見ることが多い。その逆も然りでテンカラ釣りにとてもよく似た釣り方をするフライフィッシングも見る。シンプルフライフィッシングとはよく言ったもので手元のリールの有無を見ないと判断できないくらいである。レベルラインやフライラインにいわゆる洋式フライを結んで浮力粉を一吹きしナチュラルドリフトを目指す。オモリやマーカーをつけてニンフ毛鉤を使うものまである。まさになんでもありのごった煮である。単に魚を釣る目的のみならばそれも厭わぬことなのだろう。

十人十色のテンカラ釣りと言ってしまえばそれまでであるし、それこそが伝承から生まれた伝統なのではないかと自問自答する。だが、そのような洋風テンカラ釣りを「美しい伝統文化日本のテンカラ釣り」として「伝える」ことには些か違和感を覚える。海外で食べる日本料理に疑問をもってしまうのと同じこと。味噌汁のダシが鰹ではなくコンソメだったら違和感しかない。

テンカラは輸出と逆輸入を繰り返すうちに日本の独自性が薄らいできていることは事実であり、それこそ昔に行われていたテンカラもまた道具や釣技は多種多様であったのも事実。どれもその時代や地域にあったテンカラであることには違いない。

しかし、ここにきて思うことは「和式」と「洋式」とにテンカラを整理しておく必要性を感じずにはいられない。もちろん我々はそれぞれの価値をそれぞれ認めるという柔軟性を持ち合わせているのだが、それはまた日本独自の伝統文化の途絶を招いてきた過去がある。釣れるからとか面倒くさいからとかそんな話ではなく、日本が世界に誇るテンカラで魚釣りを愉しみたいと思うのである。

一方でフライフィッシングと融合した洋式テンカラが今日のテンカラ釣りのブームをつくり、さらには日本の伝統文化テンカラ釣りとして語られるきっかけを作ったという見方もできる。

東京奥多摩地方をホームグラウンドとしアーバンテンカラを提唱した堀江渓愚氏はいち早くフライフィッシングとの融合を進めた。その成果は現在のドライテンカラにも通じており、それはテンカラ釣り初心者にとって飛躍的に簡単なものへと進化させるきっかけになったと言える。もちろん伝統の上に成り立つアーバンテンカラであったからこそその功績は計り知れ無いのである。

いろいろなことを書いてしまったがもちろん我流のテンカラ釣りを愉しむのが一番大事だということを忘れてはいけない。筆者のテンカラ釣りも洋式仕立てにすることがある。密かに自分流をつくりあげるのも愉しみの一つである。

テンカラ釣りを日本文化として伝えるのと、実際に愉しむのは別のことであり自由に釣るからこそ愉しいものだ。職漁師でもなければ文化伝承者でもないただの釣り人なのだから結局は自分流で良いのである。

5.テンカラ釣りに期待すること

フライフィッシングを取り入れることで日々進化する「洋式テンカラ」は渓流釣りをより簡単で手軽なものとし新たな渓流釣り愛好者を招くだろう。

テンカラ釣りの流行をきっかけに起こる渓流釣り人口の増加が「自然を大切に想う」人の増加につながることを期待する。

何故なら「自然を大切に想う」釣り人の増加が魚を絶滅させるとは考え難いからである。

閉鎖的な思考をもった既存の釣り人がいう、人が増えると魚が釣れなくなるとか減る等の問題については、それこそ漁協や行政の出番だと思うし存在する意義だと考える。

日本各地にいる釣り師といわれる師範の皆様への願いは、自らの技術や釣果ばかり誇示するのではなく、渓流釣りに対する精神を説いていただきたいと願うばかりである。またテンカラにおいては釣れた魚の大きさ、数、美しさの釣果ばかりに目を向けるのではなく、日本の釣りとして伝わる技術やその過程こそ愉しみたいものである。

アメリカで日本のテンカラ釣りとそれにまつわる物語を伝える人物がいる。TenkaraUSAを主宰するDanielはもっとも正統なテンカラ釣りをするアメリカ人の一人だ。

彼はこう語っている。

「People don't buy fishing rods. They buy the story behind  fishing rods. 」

「So nobody buy the tenkara. People buy the stories behind tenkara.」